それは
誰かと比べるのではなく
何かと競うのではなく
「自分」とたくさん向き合うということ
ダメなことはない、正解不正解じゃない
自分の中から湧き出る
「じぶん」の「思い願い」
子どもたちの数だけある
「思い願い」
それを、育む
それが
せせらぎ保育園の考える「保育」です
それは
誰かと比べるのではなく
何かと競うのではなく
「自分」とたくさん向き合うということ
ダメなことはない、正解不正解じゃない
自分の中から湧き出る
「じぶん」の「思い願い」
子どもたちの数だけある
「思い願い」
それを、育む
それが
せせらぎ保育園の考える「保育」です
生活も遊びも
子どもたちにとってはすべてが
「生きる」ということ
すべてが成長・発達に繋がっている
その日々の生活(成長発達)を
大人の都合に合わせるのではなく
時間の都合に合わせるのではなく
子ども主体で考えると言うこと
そこから育まれる
愛着、安心、好奇心が
「意欲(やってみたい、いってみたい
食べてみたい)」を育み
非認知能力を伸ばします
大人の価値観(固定観念)で分け隔てるのではなく
子どもたち一人一人の
「生きる」を尊重する
それが
子どもたち一人一人を尊重する保育です
子どもも大人も、成長・発達は「まね(模倣)」
「出来ないこと」は「出来るひと」を見て真似て
やがて自分の「できる」になる
子どもたちの一番のお手本は?
少し先の未来の自分、
そう、少し上のお兄ちゃん、お姉ちゃん
そこには、ちょっと先の「できる」があります
人の本能、「誰かの役にたちたい」が育まれる環境
人間だけが持つ「ちから」
困っている人を助けたい、何かの役に立ちたい
そう、人は本能で、「誰かの役に立ちたい」のです
年齢が様々だからこそ、
「できること」「わかること」も「ばらばら」
だからこそ、たくさんの「誰かの出来ない」は、
「誰かの出来る」なのです
そこで育まれる「誰かのためにできること」
「なにかのためにできること」
そう、そこは、たくさんの「誰かの役に立つ瞬間」に溢れます
そして、たくさんの「ありがとう」も生まれます
「共に生きる世界」が、そこにはあります
「子どもの世界」がそこにはあります
「子どもだけ」の世界、昔はたくさんありました
公園、空き地、放課後の学校・・・
様々な年齢の子どもたちが一緒に遊ぶ場所
そこは、子どもがたくさんのことを学ぶ世界
今では、そこは「大人」もいる世界
(防犯上等の理由で大人が一緒にいる世界)
そう、そこはもう「子どもだけ」の世界ではないのです
子どもの世界で育まれるもの、それは「じぶん」です
大人のいない世界、大人の価値観のない世界、
大人の常識のない世界・・・
そこでこそ、子どもの「じぶん」が育まれる
その世界は、同じ性別、同じ年齢でなく、年齢も性別も様々
なぜなら、子どもたちがやがて過ごす社会は
様々な人たちが
「共に生きる社会」だからです
「答え」を探すのではなく
「答え」がないことが「こたえ」
それは、大切な出来事が
「ゴール(結果)」ではなく
「今この瞬間(プロセス)」に詰まっているから
「昨日の続きが今日できて、今日の続きが明日できる」
そんな日常を大切に
「今この瞬間」にこそ
子供の成長・発達はあります
そこには、時間の制約や他者の制約
(年齢や性別毎に決められた成長
・大人の固定観念からなる成長発達要求)
は必要ないのです
それこそが
常に変化する「今この瞬間」であり
子どもたちの「じぶん」がそこには存在しています
だからこそ
「今この瞬間」の連続である
「プロセス(過程)」が大切なのです